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看護のこころ(ウイリアム・オスラーの祝辞)



       
 ナイチンゲールの考え方の原点は、健康上の知識や看護の知識は一般のだれもがもつべきものなのであって、決して特別なこと、専門的なものではないということです。ナイチンンゲールが看護婦に求めたものは、「自分自身はけっして感じたことのない他人への感情のただ中へ自己を投入する力をもつ」ということでした。
  アメリカの医学教育者であるウイリアム・オスラー先生(1849ー1919年)は、1891年、ジョンズ・ホプキンズ病院看護学校の卒業式で、次のような看護婦への大きな期待と励ましの言葉を贈っています。「皆さんはここで過ごした人生によって優れた女性になられることであろう。優れた女性とは、2年にわたるここでの生活の間に出会ったさまざまな出来事によって、心の眼が開かれ、共感の幅が広がり、人格が形成された、そういう女性を意味する。
  具体的に述べるならば、皆さん一人ひとりに、多忙で、有用で、幸福な人生が与えられるはずである。それ以上高望みしてはならない。世の中に、これに勝る祝福はありえないからである。多忙な人生、そう、確かに皆さんは多忙になるであろう。公私共に、訓練を受けたあなた方のような女性への需要は極めて大きいのであるから。有用な人生、そう、確かに皆さんは人の役に立つ人生を送ることになるであろう。自身の身の回りのことすら1人でできず、苦しみの毎日を過ごし、優しい手と温かい心を求めている病む者の世話をしてあげるのだから。
  最後に、幸福な人生、そう、皆さんの人生は幸せなものとなるであろう。あなた方は多忙で、有用な人間なのだから。魂を満たしてくれる職業に没頭するところにこそ幸福は存在する、という幸福の奥義を授けられたのであるから。さらに言い換えるならば、われわれの存在は、「人生から」何かを与えられるためにあるのではなく、自らができることを「人生に」与えるためにあるのだ、という人生の奥義を授けられたからには。